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彌生先生の理念
東京女子医大創立者 吉岡彌生

東京女子医大
創立者

吉岡彌生
Yayoi Yoshioka
『一人の人間が自分の頭に閃いた考えを全責任を以て実行に移す生き方それが私の一貫した方針です』 『人は神ではないから、完全は期せられない。七分の悪い点があっても三分の善い点があれば、自分は三分をとります』『婦人が職業を持ち、社会で活動できれば、広い知識を得るものでありますから、男子にとって真の好伴侶になることは当然でありましょう』
昭和27年

東京女医学校創設当時の吉岡弥生(明治33年)。女医を目指す者の道を閉ざしてはならないという強い使命感に燃えていた。弥生は29歳であった。

『母親自身が子供に尊敬されるようなしっかりした存在になることが、第一の条件であります。職業を持っていては、子供の教育ができない、母になれば仕事を捨てなくてはならぬというのも、機械的にすぎた考え方で、母親の真剣な生活態度が、子供に及ぼす精神的な感化力を見落としているきらいがあるといえましょう。その点、これから結婚なさろうという若い職業婦人の方は、世間態に負けたり、独りよがりの母性愛に溺れたりしないよう、くれぐれもご注意願いたいと思います。(1940年)』

『もし母親としての私になんらか誇りとすべきものがあるとすれば、それは、「医者の子供にろくな子供はできない」とか、「職業婦人は家庭をおろそかにする」とかいろいろ取りざたされた、いわば衆人環視のなかで、どうにか子供を一人前の人間に育てあげたことであろうと思いました。いいえ、私の子供ばかりではありません。私の学校の卒業生の家庭を見ておりましても、子供はたいてい高等学校から大学に入り、よその家庭よりは概して成績がよろしいようであります。朝から晩まで母親が子供のそばについていなくても、母親の精神や生活態度がしっかりしておれば、子供の教育ができるわけで、「家庭に還れ」式の世上の単純な議論は、多くの事実と照らし合わせてみて、おおいに再考の余地があるのではないでしょうか。(1940年)』

女医界第358号(昭和25年5月号)に掲載された彌生先生の「世界一の幸福者」に併録された写真

『夏に無料診療をやっております。この夏の無料診療は文部省などが勤労奉仕を唱え出すずっと以前から、私の学校で実行している自慢の種の一つで、貧しい家の病人が助かり、生徒の実習訓練にもなり、社会見学にもなる、というふうにかずかずの利益がありますが、一番面白いと思いますのは、ふだん外に現れない生徒の性質や能力が、この催しの間に、実にはっきりわかるということです。診療地域の区長さんや、方面委員などの交渉をうまくまとめたり、みんなに仕事を振りあてて統御して行くのは、たいてい常識が発達した上に成績もよい十番内外の生徒であって、一番や二番の優等生にはほとんど見られません。卒業のとき、優等生には優等賞を出しますが、そういう働きのある生徒にも、人のためにつくした表彰状をやることにしております。卒業してからの様子を見ておりましても、学校時代の優等生より、働きのある生徒の方が、患者に接して親切で、評判がよろしいようであります。ですから、単に学課の成績がいいということだけではだめで、人間ができていなければならず、殊に現在のような時代には、有能な医者として国家のため社会のためにつくすという精神、精神ばかりでなく、その実行力を作っておくことがなにより必要だと思います。(1940年)』
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